はい、やってまいりましたー!梅座です。
清洲山王宮 日吉神社と鳳凰山 甚目寺についてです。まず、行った理由は、
「愛知 子授け神社」・・・
そう入力して検索結果に出てきた神社とお寺だったのです。
厄をさる福を招く 日吉神社
私は車で行きました。快晴だったので、エアコンはつけずに窓を開けて気持ちよい風を受けました。駐車場もテニスコートのような柵に囲まれて神社の横にありました。周辺は道幅が狭かったので、注意!
由緒
光仁天皇の御世、宝亀二年(西暦七七一年)、尾張地方に疫病が流行したので、人々が素盞鳴命を大己貴命と合わせて祀り、病災除去の氏神としたのが発祥です。その後、大同二年(西暦八○七年)、平安時代の官人、橘逸勢(たちばなのはやなり)が社殿を建立、また、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合の説が広まり、山王宮と称されるようになりました。
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
出雲に祀られる国造りの神、大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名で、神代よりその幸魂が大和三輪山に祀られております。 「人造り」・「国造り」・「医薬」・「夫婦和合」の神として信仰されています。また、大黒様として福の神の信仰を受けています。
素盞鳴命(すさのおのみこと)
天変地災、生老病死など人間の萬の苦しみの象徴であるとともに、それらを祓い除ける神として信仰されており、八岐大 蛇を退治する神話でも有名な神様です。 御神徳は「病気平癒」・「厄除」・「除災招福」等
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
日吉大社御鎮座の神、比叡山に鎮まる神として神代より信仰され、五穀豊穣や樹木の成長を司り、暮らしを豊かにする神として拝まれてきました。京都に都が置かれてからは、「鬼門守護」の神となり、「方除け」・「魔除け」の守護神として信仰されるようになりました。
清洲山王宮 日吉神社
懐妊に繋がる縁起物【子産石】
清須市朝日出身の豊臣秀吉の生母(大政所)は、この子産石に触れ、祈願し秀吉を授かり、幼名を「日吉丸」と名付けたとされています。 今は子授かり・安産・夫婦和合の石として奉られています。
誰もが知っているあの秀吉を産んだ母は偉大ですね。そして、それを触らせて頂ける有り難さ。子授け神社巡りっぽいブログになってる!(嬉)
狛犬でなくて、猿だった!阿吽の申!巨大絵馬も圧巻だった!
拝殿前に配置されている猿は、青銅製の神申像で、烏帽子をかぶり正装をしています。境内には全部で24体申像があるそうです。全然見つけられなかった!!
人形供養も行っているようです。
大丈夫って言葉が好きで、大丈夫守も気になった!
その後、清洲城も行ってから同じ日に甚目寺も行ってきたのです。
名古屋城を鎮護する尾張四観音の一つ 甚目寺
私は車で行きました。お寺の周りは交通量も多く、カーブがあるため駐車場に入りづらかったです。公式サイトにも記載の通り、出来れば公共交通機関での参拝をした方がいいかもしれません。運転には気をつけて!
歴史
仏教が伝来した宣化3年(西暦538年)よりわずか60年後の推古5年(西暦597年)のこと、伊勢甚目村(いせはだめむら)の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江(現在の甚目寺の東南約200m.あたり)で魚をとっていました。
その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。
これが甚目寺の始まりと言われています。法隆寺や四天王寺に次ぐ我国有数の古刹です。甚目寺の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。
鳳凰山甚目寺
山門は仏教の世界と私たちが住む世界を区別する意味があるそうです。神社だとそれが鳥居なのだとか。甚目寺の南大門も立派!
懐妊に繋がる縁起物【おさる様】
本堂にある「おさる様」と呼ばれる猿の置物を一週間借りて子作りに励むと、子が授かるという一風変わった言い伝えがあります。
こちらも猿!!!様がついている!おさる様はおでかけしている時もあるとか。
つまりはレンタルねw
①から⑫の堂の参拝捺印をすると本堂でお守りがもらえるそうです。看板にも書いてあったけど、時間がなかったので全て回れずでした。。
毎月12日に行われている、甚目寺観音てづくり朝市も行ってみたい!
全国色んなところの寺社仏閣に行きたいなぁ・・・またゆるゆる更新します。