北陸新幹線敦賀延伸で盛り上がる福井【氣比神宮】

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氣比神宮
氣比神宮

はい、やってまいりましたー!梅座です。
今回は、北陸新幹線金沢-敦賀間延伸で賑わっている福井県・氣比神宮けひじんぐうについてです。「越前一の宮」「北陸道の総鎮守」とも称されます。地元では親しみをこめて「けいさん」と呼ばれています。
子授け神社ではありませんが、私は好きな神社です。
行ったのは北陸新幹線開業前ですが、敦賀は前から何回か行ったことある素敵な港街です。高校野球で福井県代表として甲子園常連の「敦賀気比高等学校」も有名でしょうか。

住所
〒914-0075 福井県敦賀市曙町11-68
電話番号
0770-22-0794
開・閉門時間
【4月~9月】5:00~17:00
【10月~3月】6:00~17:00
お守り、御朱印の授与

8:45~16:45
駐車場
あり(無料100台)
アクセス
車:北陸自動車道「敦賀IC」より約10分
バス:JR敦賀駅より「コミュニティバスはぎ号」「福鉄バス」「ぐるっと敦賀周遊バス」で「氣比神宮前」下車
タクシー:JR敦賀駅より約5分

黄色い車

私は車で行きました。私は車行きました。駐車場は周りにいっぱいあります。そして大通りにあり立派な鳥居がどーんと構えているので、わかりやすいです(笑)

由緒

伊奢沙別命は、笥飯大神(けひのおおかみ)、御食津大神とも称し、2千有余年、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承され今に神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を留めている。上古より北陸道総鎮守と仰がれ、海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳、霊験著しく鎮座されている。仲哀天皇は御即位の後、当宮に親謁せられ国家の安泰を御祈願された。神功皇后は天皇の勅命により御妹玉姫命(たまひめのみこと)と武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)を従えて筑紫より行啓せられ参拝された。文武天皇の大宝2年(702)勅して当宮を修営し、仲哀天皇、神功皇后を合祀されて本宮となし、後に、日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉姫命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称した。明治28年3月26日、神宮号宣下の御沙汰により氣比神宮と改められた。延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に「越前國敦賀郡氣比神社七座並名神大社」とあり、中古より越前國一ノ宮と定められ、明治28年、官幣大社に列せられ、一座毎に奉幣に預ることとなった。当神宮の神領は持統天皇の御代より増封が始まり、奈良時代を経て平安朝初期に能登国の沿海地帯は当神宮の御厨(みくりや)となった。渤海使(ぼっかいし)が相次いで日本海沿岸に来着したので神領の氣比の松原(現国定公園・日本三大松原)を渤海使停宿の処として、天平神護2年(766)勅によって松原客館が建設され、これを、氣比神宮宮司が検校した。南北朝争乱の延元元年(1336)大宮司氏治は、後醍醐天皇を奉じ金ヶ崎城を築いて足利軍を迎え奮戦したが利あらず一門ことごとく討ち死し、社領は減ぜられたが、なお、二十四万石を所領できたという。元亀元年(1570)4月大神司憲直等一族は越前国主朝倉氏の為に神兵社僧を発して織田信長の北伐を拒み、天筒山の城に立籠り大激戦を演じたが、遂に神宮寺坊は灰塵に帰し、48家の祠官36坊の社僧は離散し、古今の社領は没収され、祭祀は廃絶するに至った。慶長19年(1614)福井藩祖結城秀康公が社殿を造営されると共に社家8家を復興し、社領百石を寄進された。この時の本殿は流れ造りを代表するもので明治39年国宝に指定されたが戦災(昭和20年7月12日)により境域の諸建造物とともに惜しくも焼失した。その後、昭和25年御本殿の再建につづき同37年拝殿、社務所の建設九社之宮の復興を見て、祭祀の厳修につとめたが、近年北陸の総社として御社頭全般に亘る不備を痛感、時代の趨勢著しいさ中、昭和57年氣比神宮御造営奉賛会が結成され「昭和の大造営」に着手、以来、本殿改修、幣殿、拝殿、儀式殿、廻廊の新設成り、旧国宝大鳥居の改修工事を行ない、平成の御代に至って御大典記念氣比の杜造成、四社の宮再建、駐車場設備により大社の面目を一新。更に国家管理時代の社務所が昭和20年の戦火で焼失し、その後敦賀区裁判所の庁舎を移築、長く利用してきたが、老朽化により已むなく解体、平成23年6月大社に相応しい格式ある総木造社務所が新築落成した。

御祭神

主祭神 伊奢沙別命は御食津大神(みけつおおかみ)とも称し食物を司り、また古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められている。神功皇后、応神天皇はまた漁業に対する御神徳著しく、古来五穀豊穣、海上安全、大漁祈願が行われ、現に農漁海運業者の崇信が極めて篤い。神功皇后は安産の神として霊験あらたかである。仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・武内宿禰命は無病息災延命長寿、また神功皇后・玉妃命は音楽舞踊の神である。

伊奢沙別命(いざさわけのみこと)

※衣食住・海上安全・農漁業・交通安全

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

※無病息災・延命長寿・武運長久

神功皇后(じんぐうこうごう)

※安産・農漁業・海上安全・無病息災・延命長寿・武運長久・音楽舞踊

応神天皇(おうじんてんのう)

※海上安全・農漁業・無病息災・延命長寿・武運長久

日本武尊(やまとたけるのみこと)

※武運長久・無病息災・延命長寿

玉姫命(たまひめのみこと)

※音楽舞踊

武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)

※延命長寿・無病息災・武運長久

氣比神宮について

日本三大木造鳥居がパワースポット!

奈良の春日大社、広島の厳島神社の木造鳥居と合わせた日本三大鳥居です。高さ10mを超え朱色の鮮やかさとともに堂々たる風格を感じさせてくれます。空の青、木々の緑、そして朱色ととても映えます!!
昭和20年の「敦賀大空襲」ではこの大鳥居を残して、氣比神宮は焼けてしまったそうです。現在の氣比神宮は「昭和の大造営」によって再建されました。

大ジャンプ
umeza
umeza

見て!この大ジャンプ!!!(興奮気味)

tatsuo
tatsuo

あ、、うんw

氣比神宮
氣比神宮

空の色が違うのは、別の日だからです。そして写真が少ない・・・

無病息災・延命長寿 1300年以上も湧き出す「長命水」

大鳥居から参道を進んで手水舎の手前にあります。長寿のご加護があるといわれています。静かの水音が聞こえてきます。

松尾芭蕉が求めた名月の地

松尾芭蕉が敦賀を訪れた際に氣比神宮で月見をしたことから、「おくのほそ道の風景地として選ばれ、2021年10月には「日本百名月」にも選ばれました。

「月清し遊行のもてる砂の上」

「名月や北国日和定めなき」

近くの観光スポット

静岡県の三保の松原、長崎県の虹の松原と共に日本三大松原と呼ばれます。
広大な松林はその名が神社から名付けられ、氣比神宮の神苑とされていた場所です。氣比神宮がかつてこの地に絶大な勢力を誇っていたことが想像できます。

国内最大級の「鉄道と港のジオラマ」とおしゃれなレンガ空間の中で美味しい食事が楽しめます。

敦賀半島の先端に浮かぶ小さな無人島です。透明度の高い水質と白砂が特徴で「北陸のハワイ」と呼ばれます。

umeza
umeza

今度は北陸新幹線に乗って、氣比神宮に行きたい!

ゆる日本地図

全国色んなところの寺社仏閣に行きたいなぁ・・・またゆるゆる更新します。

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